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2014年10月30日

「ラースとその彼女」

「ラースとその彼女」



    「ラースとその彼女」

    TSUTAYA DVD


 人付き合いが出来ないという、超引きこもり青年ラース。

人はどのように人と関わりあえるようになるか、

という事について考えさせられる作品。

人はまず母親を通し、世界と関わる。

ラースは生まれてすぐに母親を亡くしている。

それが全てを決定付けるわけではないが、

重大な問題ではある。

それに代わる存在は父親や、他の家族になるが、

父親は気むずかしく、それゆえ兄は早くに家を出ている。

父親の死後、兄は妻と共に家に戻るが、

ラースはひとつ屋根の下に暮らすことができず、

ガレージに住んでいる。

そういう事情の青年の、

アクロバット的通過儀礼の物語。

登場するのが、ラブドールの彼女だ。

ダッチワイフと呼ばれる等身大の人形で、

はじめはギョッとした。

しかし、皆で彼女を受け入れるのだ。

街中の人たちが受け入れる。

その物語の中で、ラースは死と再生を体験して、

自分の人生と向き合う。

自分の中の母親、あるいは永遠の女性像。

そういうものと引き剥がされる痛みが死で、

自分から分離された像は客観性を持ち、

再統合されるのが再生ということではないか。

それが通過儀礼的だと思った。

現実の恋人は自分の中の永遠の女性像とは別物だ。

当たり前と言いつつホントは解っていない人が多い気がする。

大切なのは、現実の恋人は違うと理解しつつ、

それでも、自分の中に永遠の女性がいることだ。

「僕の彼女になっていない」もしくは、

「私の彼になっていない」と思っている人にオススメ。

余談だが、この映画を観て「通過儀礼」と思った時、

「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」

という映画と繋がった。

これも好きな映画だが、

今までどう表現したらいいか解らなかった。

79歳のおばあさんと19歳の青年の恋、

カワウソは「気持ち悪い」としか言わなかったが、

私は好きな作品だな。

    こねねこ












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Posted by ネコとウソ at 21:53│Comments(0)映 画
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