2009年07月10日
「NEXT」
「NEXT」
ニコラス・ケイジ
TSUTAYA DVD
沖縄に原子爆弾はあるが、はっ、証拠?
そんな小学生みたいなこと言ってドースル、
でっ、無いのはカジノだっ!
今更視察や研究なんていわないで
数多のカジノ映画を観ましょう。
それで十分だと思うがいかがか。
だいいち自分の女房の趣味や髪形も
良くイメージ出来ないのに、
視察したって何も思い浮かばず、
へたすりゃそのカジノで
500ドル儲けたことくらいしか思い出せなくて、
そんなレポートでは我々が迷惑するだけだから
お止めになって頂きたい、
もちろんカジノをである。
この映画でもカジノが出てくるが、
そう、予定調和的であっても
そういうのがカジノである訳だから。
して、今日的魔法と言えば
ギャンブルしか思いつかないのが
現代の悲しいところである。
魔法さえ使えれば
どんなに人生がすばらしい事になるやらと思ってしまうが、
この映画のように先を見越せたとしても、
バリエーションな人生であるだけで
これといって新鮮味は無いのかもしれない。
だから映画も次のバリエーションを展開する前に終わる。
まあ、チビチラーという方もおありかと思いますが、
どうせバリエーションなら「デジャブー」を見るもよし、
ああ、アクションでなければ嫌だと、
ますます矮小化ではないですか。
むしろエンドレスないつものTVがよろしい。
それなら考える事もあまりないし、
流行とやらに身を任せれば流されるままですむ。
そんな事は無いと仰るか、
だから想像力が無いというのです。
想像力があれば数多の映画が作り話ではなくて
リアルであると認識できれば
魔法を使わなくとも映画を見れば良いし、
怪我もしない。
映画が嫌なら小説だってある。
小説にいたってはリアルだけではなく、
あなたの脳をいじくってくれるかもしれないのだ。
それこそ作り話ではないかと、
いやあなたの人生だって
「あなたの作り話」ではないですか。
私の人生はツネッテ痛い本当の人生だと。
そうですか、失礼しました、
私から見ますと、そのリアルな人生より、
映画や小説の方が魅力的なのですが、
俺の人生にケチを付けよってか!
いえいえ、そんなつもりはありませんけど
あなただって魔法が使えた方が良いと
仰るのでしたらということです。
魔法が使えるのと映画を見て満足するのとでは
全然違うでしょうに!
違うと思っているのは
あなたのリアリティに関する嗜好の問題で、
実のところ認識しだいで
大差ないのだったらと言う事です。
その魔法ですが、イザ使うにも、
女房を「見た事も無い美人に変えたり」
お家を「あなたのセンスで豪邸」にしたりで、
傍から見たらやはり
寂しいものがあったりしないでしょうか。
魔法を使うにも今のあなたが試されるだけで
ちっとも豊かになれないかもしれません。
えっ?金塊に埋もれたい!
またしても美女を纏いたい?
あれもしたいこれもしたいって
どんな事よッっていわれても思い付かないでしょう。
そこなんですよ、
魔法を使う前にやれなければならない事があるのです。
だから宝くじだって早々当たらせてもらえないのです。
当たったからといって心配になって戸締りしたり、
当たったことを言うなと言われれば
口をついて出そうで息苦しい、
そんな心持では寿命を縮めるだけである。
いや「ウエィクアップネッド」だってあるじゃないかと、
そう、そうです、それこそ映画ではないですか、
もうあなたは宝くじを当てたも同然の経験を
その映画でしたのです。
どうです、宝くじも魔法もいらないでしょ!
映画に小説で人生万歳じゃないですか!
して、この映画はどうだったかといえば
「60セカンズ」のニコラスも出て来たりして
面白かった。
ニコラスが盗んだ
New
「DODGE CHARGER」
イイかもです。
魔法使いになると、
魔女狩りされるだけかもです。
でも魔法ってイイすよネッ!
どーして、
だって変えてみたいじゃないですか
何を、
そりゃ決ってるじゃないですか、
それなら相談した方がいいだろうな、
誰に?
他に誰が居るんだい。
終盤「間違えた!」とニコラスが言う。
して、、、、、
アッ、違う!俺達は魔法が使えないのではないのだ!
ほら、昔は魔法使いが居たというだろ、そうじゃないんだ。
逆に少なかったんだ魔法使いが。
月日年月が流れて文化発展、今じゃ皆が魔法使いなんだよッ!
だって考えてもみたまえ、
水飲み百姓の末裔である俺達が、
いみじくも一軒家に住み、車だって持っているんだ、
これが魔法使いでなくて何なんだ。
そうだよねっ、同級生のあいつが教頭先生だもんなぁ、
ゼッテェおかしいよッ!
だろ、鼻タレのみよちゃんだって
あんなにきれいになっておかしいじゃないか!
というのはともかくも、、、。
魔法を考えてみよう。
魔法を使っていろいろと
自分の思う素敵に変えて行くということは、
他者にとっては実は都合の悪い事であるやもしれないのだ。
映画のテロリストにとっては絶対都合が悪いのだ。
であってみれば魔法は他者の参加を排除しているのだ。
つまり、相容れないのだ、コミュニケーションの不在です。
そんな中、皆が魔法使いで魔法を使えば、
自らの魔法の力加減ではパワー負けして、
今実際、自分は魔法を使っているのだが、
相手の魔法に負けていて
他者の役(登場人物)に陥ってしまっている
という状態なのである。
そうだったのかぁ~、そうなのです!
ではどうすれば自らの魔法を享受できるのか。
魔法のパワーを上げればよいのだ。
どーやって。
それが難しい、何故なら、
あなたよりパワーのある魔法がそれをも
挫いているからなのだ。
それじゃどーしょうもないじゃない!
せっかく気付いたのにドーしてダメなのです。
ここまでは何とかなったが、
この先は誰かの魔法で考える力を
抑制されておるようじゃ、、、、。
強い力を感じる、、、、。
そうか、だから時折
頭痛もするんだ、、、、。
カワウソ
Posted by ネコとウソ at 22:21│Comments(0)
│映 画
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。