2009年02月02日
主人公は僕だった
「主人公は僕だった」
マーク・フォースター
2007
TSUTAYA DVD
いやー、久しぶりに楽しい映画を観た。
いつでも映画は楽しいが、これはこれは面白かった。
「人は死ぬけど作品は残る」といわれて、
あなたは「勇気ある死」を受け入れる事に納得できるでしょうか。
もちろん事前に知らされてだ。
脳というのは、どのような事でも受け入れることが
出来るように作られているようだと映画を見て思う。
そして、この映画の設定のアイディアというか、
ストーリーといいますか、
物語小説を揶揄しているように思えて楽しい。
「全知の第三者」の声が聞こえてくるのだ!
つまりナレーションが、、、、。
「そのとき彼は知る由もなかった」である。
勤勉実直な青年がある日、小説の物語に組み込まれてしまう、
という展開だが、小説はフィクション(嘘)、
あるいはフィクション(お話)だと言ってる人にお薦めだ。
この映画はそれを逆手にとって錯綜させ
リアリティをおびているからだ。アイディアだ。
嘘(映画)に嘘(小説)を重ねると、
嘘(虚構)があいまいになって、
その隙(空間)で問題(人生)を提供するという事なのだが、
その事によって自分の暮らしが客観化されて紡ぎ出され、
実体化されるとでもいいましょうか。
主体性の無い人生に少しカツを入れるだけで楽しく暮らさないか?
あるいは自分の考えで暮らすと楽しいかも、
という話に「自分はちゃんと暮らしている」という定型を、
ちゃんと暮らしていると思っているあなたに
スパイシーなコメントを教授がくれる。
それを解せないあなたではこの映画は面白くない訳だが、
分かる人にはとてもコメディで面白い。
もっとも教授も、定型で話しているのか、
うんざりして話しているのか教授の顔がとても面白い、
それはこの役者にかかっているが、
流石のダスティン・ホフマンである。
戦争が起これば自分は活躍できるかもしれないと思っている人に、
「プライベートライアン」の映画でのように、
上陸用舟艇のゲートが開いた途端、
頭に一発喰らって死ぬのが君だといわれても、
その戦争に参加するでしょうか、という問いかけでもある。
「名誉の戦死」だ、イイじゃないかとほだされるでしょうか。
そうですか参加しますか、
そうでなきゃ辺野古に基地なんか作らせませんよねぇ、
でも、ぼくは嫌だな、逃げ惑う役なんて、コンリンザイ嫌だな!
終いには基地を破壊して主人公は逃げるという設定なのに、
その端で死んで行くなんて、ぜってぇイヤだな。
ところで映画はみなさんのストレスを溜めないために
ちゃんと定型にお話しを変えてくれるのだけど、
そうなったらそうなったでやはり「勇気ある死」を求めるのは
なぜでしょう、、、、。
カワウソ
Posted by ネコとウソ at 23:02│Comments(0)
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