2013年08月18日
零戦
「零戦」堀越二郎(角川文庫) 「零式戦闘機」吉村昭(新潮文庫)
「零戦」堀越二郎と、
「零式戦闘機」吉村昭を立て続けに読んだ。
それで頭の中が零戦になっている。
堀越の「零戦」は、
人は創造するときに善悪で判断するのではなく、
創造したいエネルギーに突き動かされて創造する
ものなのだろうかという事。
戦後だいぶ経ってから書いた本だが、
堀越にとっての戦争って何だったんだろう、
「その中」にいると、「その中」でしか考えない、
という事なのだろうか、
戦国時代に輝く人がいるように、
戦争と合致して、その能力を開花させる人もいる。
そういう人々にとっては、戦争とはなんなのだろうか。
当時の庶民だって、零戦が大活躍したニュースに、
オリンピックの競技に勝ったように喜んだのだろうし、、、。
読み終えてボーっとした頭で、
すぐに吉村の「零式戦闘機」を読み始めた。
いろんなエピソードが出てくるが、
「零戦」と同じ内容なので、理解は早い。
途中まで同じ内容の本で、さらに細さが加わったモノ、
のようなイメージだったが、
吉村昭は小説家なので、着地点がかなり違う。
零戦という戦闘機を使い、戦争の全体を見せてくれる。
その時の人々を、その生活を見せてくれる。
それは泣けて仕方なかった。
泣く小説ではないけれど、
犠牲者に思いをめぐらすと、涙しか出てこない。
牛馬のように使われるという言葉があるけれど、
牛馬は重要なモチーフになっていて、
その姿が人々の姿に重なり、胸に刻まれます。
こねねこ
Posted by ネコとウソ at 23:17│Comments(0)
│本 雑誌
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