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2008年12月25日

事件

事件
  「クリスマス・カロル」ディケンズ(新潮文庫)
   
      「 事 件 」


 昨日からのんびり

「クリスマス・カロル」読んだ、、。

今日の夕方には読み終わり

「お金持ちじゃないと問題と展開は無いのか!」

と不満に思いながらも、改心し生き方を変えて、

楽しく暮らそうと決め、しかし、

貧しい人の、貧しい事によって起こる出来事を、

覚醒からの幸せに、そして「笠地蔵」はいないのか!

と呟いていたら、

ドーしても悲しい事は悲しいままでしか、

伝えてこないのかというニュースが入る。



   それにしても、、、、



 事件は午前零時半頃、

警察からの発表が遅れるとしても、

夕刊締め切りまでは十分あったのではないのだろうかと、

新聞小説のカットを見ながら思う。

 もちろん不幸な偶然が重なった。

しかしその不幸を助長、

あるいはコレを観たひとに与えたインパクトは

どのようなものであったろうか。

普段子供たちに新聞を読みなさいと勧める

大人としては、いささか不甲斐ない。

その図像のインパクトの大きさは極めて大きい。


事件
  沖縄タイムス(夕刊、12.25.2008)

 その端で「今晩の話題」は

「この調子でいくと、来年も運動部は、

忙しい一年となりそうだ。」と自己PRに余念が無い。

して1面(総合)ではトンデモナイ事になっているのに、

4面(総合)ではあのカット、

気付かなかったのだろうか、、、、、。

連携は無いのか!

カットは既に決まっていたはずなのに。



 もっとも今時は、

大変な事件の数秒後には

「それではスポーツ、、、」と

同じ人がにこやかになるのだから

この程度の不幸は大したことないのか!

もちろん意図的ではないのだから、、、、。

しかし、

カットの作者で無くとも、

「気が付けよぉ~」と言いたい!

 いったい我々は何を伝えたいのだろうか。

まさか人の不幸を

エンターティメントにしている

訳ではあるまい。

ならば、

このような事こそ気をはらい

大事にするべきではないのか。

報道の意義は伝える事も大事だが、

その事によって私達に

何をもたらしているかという事が

もっと大切なのではないのかと


地団太踏むのである。



 この「事件」にしても、お互いの意思疎通が、

     原因のはずなのだから、、、。





          カワウソ



  



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Posted by ネコとウソ at 20:38│Comments(0)本 雑誌
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