鷹野隆大 展

ネコとウソ

2010年01月18日 21:14


  ラファイエットからの年賀状、、、。



        鷹 野 隆 大 展

          イキガー

      1.16~2.7 2010
 
      ギャラリー ラファイエット


 ダイレクトメールのモデルが作家本人であったら

ドーしょうと思いながらギャラリーの扉を開ければ、

複数のモデルが目に入り安堵する。

これがモデル兼作家&コンセプトなら

男版、山城知佳子かと期待したのである。

もっともその山城氏は私の夢見る(期待した)

「ホーハイ」では無いようなので残念だが、

もし鷹野氏が男「ホーハイ」だと、

どのような呪術を使って

「ホーハイ」になれるのかを期待したのでありました。

 やや剣呑な感じがするものの、

会場何点目かの作品のファットなモデルの、

しなを作った迫力ある姿態に釘付けになる。

案外オーソドックスなそのボリューム(構成、構図)に

男性ヌードである事を忘れ

(ペニスは股間に仕舞われているし、、、)

安心して見入る事が出来る。

もっともすぐにそのシュールな空間から

明らかな男性性に目覚めさせられ困惑に陥る。

しかし、

この困惑こそ作家の思惑のように思える。

上半身は明らかに女性性で下半身が男性ソノモノという作品に

その思惑が見て取れる。

上半身に見とれながらも下半身に反応しない私が居る。

下半身も女性であるなら、この上なく満足が得られただろうに、

その、ペニスの異物感、いや、認知しにくく脳は軽い混乱に会う。

隣人に「バギナというだけで嬉しくなるのに、

これはどうして嬉しくないのでしょう?

上半身素敵な女性なのに」と問えば、

それが性と言うものでしょう、とあっさり言われた。

もっともであるが、

ではこれらの作品が、作品としてもたしているものは何か。

その様な性に頼らなくとも律する、

作品の存在と言う事になるかと思うが、

その時の作品とはむしろ、

もっぱら、オーソドックスなアートという構図に

拠っているのではないかと思い、

これらが秘密クラブ?のブロマイドでないとしたら、

アートとしてのポピュラリティ(作品)を

持っているのではないのかしらと思う。

 誰もが股間にペニスを挟み込んで「女だ!」と言いつのっても、

それをアートのコードに載せないでいたという事もあるかしら、

先程のファットなモデルの作品の前で、私達は何故

西洋名画の前にいるような気がするのでしょうか。



          カワウソ




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