コミュニケーションアート?
パルミラ通りの界隈で、、、。
七月末は画廊やアトリエを回る機会があり、メディアも相乗りさせて、
楽しくも、覚醒されるという事はそれだけでストレスでもあるし、相手が
若ければエネルギーすら吸い取られる運命でもあるやもしれぬとも思った
そんな年寄りでもないのだが、パークアベニューの上り坂(?)を話し
ながら歩んでいると目眩がして、しばし近くのポールにしがみつく。持病
かと思ったが、どうもアルコールが少し入っていた(喉の渇き)のとシャ
ベリが陰鬱としていたせいか酸欠を起こしたらしい、、、、つまり運動不
足なのであった、恐ろしや、、、。
「花鳥風月」が流行ったその時代、花鳥が身近に無くなったので愛でる
ようになったという。今やコミュニケーションそのものが何なのか分から
なくなっているようで、濃厚なコミュニケーション(地域の)から逃れて
きた私(達)としては実に不可解か、稚拙にさえ思われる展開がそのシー
ンにはあった。果たしてどこで切れたか、40代くらいか30代か、、、
。コミュニケーションそのものに意味があるといわれても、コミュニケー
ションの後に現れる事を期待する我々からは奇異な感じさえするが、朝顔
を植えて「文化の底上げ、、、」というのだからますます分かり過ぎて分
からない。
市場にコミュニケーションスポットが出来た。といってもアートとして
のそれであって、へなちょこアートでは到底太刀打ちできない、向かいの
肉屋のショーケースの肉のリアリティと、何年もの月日で鍛え上げられた
肉屋の親父のコミュニケーションの方が断然優っていると思うが、そう思
うのは私だけだろうか。その肉屋の親父と丁々発止お喋りをしながら肉を
買う事の方がアート(コミュニケーション)ではないかと、ガキ(アート
)に言われなくったってオジーやオバーは普通にコミュニケーションして
いると思うがどうだろう。
作家のアトリエで子供達が指人形でなにやら表現していた。てっきり子
供たちの夏休みの宿題を手伝っているのかと思ったら作家の作品の一部に
なるという。そのビデオを見せてもらったら、傍で見ていたのと違い画面
上では動きが面白い、おもわず造形的に見てしまったが、作家の意図は他
所にあるようだ。ここではその演者がいろんな人達に入れ替わる事によっ
て交わされるコミュニケーションそのものが表現となるようだ。アートっ
てこんなに楽しいものなんだと思わせる、うむ。
画廊でも、その造形は元よりそこから醸し出される関係に表現を求め、
コミュニケーションを誘う。コミュニケーションを誘うあまり登場するオ
ジー、オバーの心情よりも作家(アート)の意図が優先させられ彼らの身
体性は見世物に利用されてはいまいかと怪訝するのは杞憂だろうか、、、
。しかしその作品の尋常ならざる迫真性には驚きとともに不安を感じる、
その不安とは、タブーに対する接近の仕方が観者を不安にさせるようなそ
れである。それがアートというのであれば怖い事である。
初めのころファーストフードの店員がいかにもマニアルな接待用語で話
すので、気味が悪かったが、今では心地よい音楽のようなフレーズとなっ
ているような気もする。返事にオリジナルな返答をすると店員さんがフリ
ーズするのもまた楽しかった。マニアルな話し方は各職業に渡るようにな
りカーディラーの営業マンも覚えたての仕様をづらづらと喋った。やはり
間の手を入れるとフリーズした。マニアル語のおかげで我が県の青年諸君
も話せるようになったと思ったが、私語になると途端に「可笑しいヤシぇ
ー」と話すのを見ると効果は今ひとつのようだ
BGMのように聞こえる店員のメッセージを聞くでもなしに「ハンバー
ガー、コーラ、ポテト」などと答え、むっつりと金を払い店員の「ありが
とうございます」の声もよそに席に着く。なるほど、我々はもう人と話す
気なんかなくなっているらしい。
しかしである。その店員たちのメッセージは生業としての強度をもって
おり、接客にはさまざまなコミュニケーションが問われ鍛えられても行く
、そんな社会に居る店員の彼女達がアートのコミュニケーションぶりを見
るとどう思うだろうか。あれだけのマニアルにさらされながらも自らのア
イディンティティには影響無く小さくまとまった暮らしがあるのだとすれ
ば、シンプルなコミュニケーションはその素朴さによって共感を得るのだ
ろうか。それはしかし、つましすぎやしないか。さらには、実は地域のシ
ャッターを開けるのに利用されているだけでアートなるものが成り立つの
か、近くの喫茶店のマスターは「あんなもの、一人の客も呼べないよー」
と笑う。国からの予算も出てアートによる地域の活性化のはずなのだが、
、、、。これはひとつのトレンドでもあるらしく、全国のあちこちの地域
でもようされているようだ。作家は身ひとつのボランティア状態で地域に
赴き作品を現場で作っては披露し、近くの喫茶店のマスターのヒンシュク
をかっているのかしら、、、。作家は作家でその小旅行を楽しんでいるよ
うでもある、いや、これこそが普段得られないコミュニケーションの機会
として利用しているようだ。しかし作品を提示すればコミュニケーション
が成り立ったかのような印象を受けもするが、その積み重ねが大事という
ところか。
私はと言えば、美術家であるがここ何年も作品の発表というような事を
していない。それでは美術家(画家)とはいえないというのが通り相場で
あるが、私にとっては非常に重要な15年ほどであったし、活発に活動し
ていたころよりも数段美術家としての意識が、その前に人であることが認
識できたというお粗末さでもある。
私は40歳になって初めて他者というのを理解し始めたと思う。それも
妻の助けなしには至らなかったと思う。モダニズムはひとつの方向に皆が
邁進(たまたま20世紀の神経症と私の気質がシンクロしたとも、、、)
すると思って成り立っていたところのもので、まるで別の他者が横におり
、違う方向を向いているとはつゆにも思わなかった(というのは嘘だとし
ても)と思うほどにモダンは輝かしいビジョンなのであったと思う。して
その大義は失速し皆がバラバラの状態で生息して居るのが現状なら、いや
、いまだ世界はモダニズムを邁進しているのだが、大義を求め始めると危
険なのは既に世界は経験済みであるから唱えるわけにもいかず、しかし私
の中では私の大義は息づいている。して、その大義とは「妻(パートナー
)と話し合う」(別れ話や、相続(インヘリタンス)夫婦愛、夫婦生活の
事ではない)というごく普通の事なのであつた。このごく普通の事こそが
アートではないかと気付いたのである。妻の世界観も知らないでアート(
他者)もないものだと、、、、。
妻(他者)とのコミュニケーションは日増しに強化され、相いれないな
がらも縺れていくうちに、世界の荒野に至れば、他者(妻)もそこに居る
事が分かった時、無上の喜びが湧いてきた、と言ったところか、、、、。
それはことさら誰に言うべきことでも無いのだが、ある領域が重なってい
る事は確かだと思えるのだ。ここにコミュニケーションが成立していると
思う。
そのような事をして毎日を過ごしているのが私のきょう日であが、これ
がそのまま作品と化する訳もなく、しかし保坂和志の小説「この人の閾」
を読むにおいて、ああこれを絵画化(小説のカットと言う事ではない)で
きないものかと思うのである。その人の大義と言うのではなくとも、その
人の閾というものを展開できたならと。
獺
「この人の閾」保坂和志 新潮文庫