2012年12月01日
メニエール病 その20
メニエール病 その20
幽 霊
耳が聞こえなくなって9ヶ月。
こんな事にもなるんだというのが実感であるが、
まるで幽霊のように(本物を見たことは無いのだが、、、)
立ち現れる妻に日々驚かされている。
人の近づく気配がまるで分からないのだ。
だから、振り返ったとたん、
そこに突然妻が現れたような感じになり、相当びっくりする。
外でなら他人がいきなり現れても、
可能性として驚くにあたらないし、
聞こえないので周りにはこれまで以上に
気を付けているからでもあるが、
家の中では誰もいないと言う認識になっていて、
いえ、
妻は家に居て当たり前であるから
数に入れてないというのが私の脳の認識らしく、
妻がコーヒーいかがですかどと言って横に立つと、
私からすると突然に物体としての物が出現した
という認識になるので、そりゃもう驚きます!
心臓がキュッとなるほどだ。
そこで妻に、
近づく時には合図をしてくれと頼むのだが、
その合図が難しい、
コンコンとドアを叩くわけにもいかないからだ。
今思いついたのだが懐中電灯でチカチカするというのはどうだろう、
うむ、これは良いかもしれない。
すると妻はいつも懐中電灯を持って
チカチカしなければならないとなるとわずらわしくなるに違いない。
あまりに私が驚くので妻としては不快に思ったらしく、
もちろん妻のせいでも、
いうまでもないが容姿のせいでもないのだが、
人というのはある条件を超えると不快感を覚えるものらしく
「それでは私はどうすればいいのでしょうか!?」
と妻がいった。
妻を責めるわけではないが、健常者が障害者に対して
最初の一瞬不快反応を起こすのはこれじゃないかと思った。
しかし、障害者は健常ではないのだから、
健常者側から見ればなんてこと無いことが
障害者は欠落しているということを
なかなか理解できないでいるということではないだろうかと思った。
障害者と付き添うということは、そういう事を理解していくことで、
実は困っていることを助けてあげるのはもちろんだが、
そういう心理的理解というか、
配慮のほうが障害者にとってはとてもうれしく、
かつ人としての尊厳という思いを持つのではないだろうかと。
障害者に何らかの合図を送るのは、
健常者側への負担という理解ではなく、
そのようにコミュニケーションをとるのが尋常であるという、
普通であるという理解からお互いの立ち位置もわかり、
助け合えるのではないだろうかと考える。
立ち上がった瞬間、
せっかくの入れたてのコーヒーとぶつからないためにも、、、。
ある時、タクシーから降りてきたひとが、
杖を突きながらとてもおぼつかない足取りで近づいてきたものだから、
大丈夫ですかと声をかけたら、険しい顔で、
「何がですか!」と言われたことがある。
私としては何か手助けをと思ったのだが、
障害者と見れば助けなければと思った私のおこがましさが
その人を不快にしたように思った。
実は、障害者は助けは要らないものかもしれない。
何を必要としているのか、どのように思って欲しいのかという
思慮の方こそがとても欲しいものではないだろうか。
倒れかけている人を助けるときは
障害者も健常者もないわけだから。
カワウソ
Posted by ネコとウソ at 20:17│Comments(0)
│メニエール病
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