2009年05月17日
閃光の中へ、、、。
In to the
Atomic Sunshine
in
Okinawa
沖縄県立博物館・美術館
それにしてもタイトルが、何を言っているのだろうと
フリーズしてしまう。
ここでは久しく、いつでも核爆弾の中にいるのに
どういうことだろうとも思う、、、。
毎日がF-15の爆音とハリアーの壮絶な排気音に
なすすべも無く居るというのにどういうことだろう。
私が毎日「メニエール病」だから
丁寧に回って来てくれているだろうが、
それは分かっているからほっといてくれないかと
お願いしたいのだが、止めてはくれない。
飛んでいるF-15の背面が見える。どうしてだろう。
この状況を考えなさいと私達にいっているのだろうか。
これについてはしかし、
もう1970年に大江健三郎が
書いているのではないのかと思うのだが、、、。
「日本人とはなにか、
このような日本人ではないところの日本人へと
自分をかえることはできないか、、、」
(「沖縄ノート」大江健三郎・岩波新書)
昨日5.15平和記念行進団に遭遇する。
他府県からも多くの人達が参加しているようだ、、、。
沖縄はハッピーアイランドになりたいとそれはもう、
すくなくとも1945年から思っていて、
そう!1972年にはそうなると思ってもみたのだった。
今年も平和行進は行われたわけだが、
警察の警護車両は目立っても行進にはなぜか
精彩が無いように思われるのはどうしてだろう。
「ここの人はじゅじゅう承知しているので、
ここでメッセージするのではなく、
勝手に決めてかまわないからどうか日本人の皆さん
沖縄を非武装中立県にして下さい、
それが憲法9条を実践することではないでしょうか。
とても簡単な問題です。
世界に誇る憲法を持つ日本です。
その日本人にはそれをすぐにでも実行できる
素地がちゃんとあるのです。
一番大変な憲法作成は終わっているのですから、
その憲法を履行すればよいだけです。
日本人にはそれがすぐに出来るのです!」
と行進の人達が言っていたような気がしたが、
私の空耳かもしれない。
何しろ私は「メニエール病」だ。
「In to the
Atomic Sunshine
in Okinawa」展の会場は閑散としていた。
でも、これがにぎわうというのも、
あるいはにぎわいの中で
押すな押すなで観るのも変だろうとも思う。
観るのにいい状況の中、
会場を散策するように見て回るも
「メニエール病」の私はここでも嫌われているのか
映像の作品はわたしの三半規管が受け付けなかった。
家では戦闘機の爆音、
美術館ではカメラのブレやらで観ていられない、、、。
それでも突き付けられた私は、
見続けなければならないのだろうかと思うも、
やはりここで発作を起こしゲロ光線を吐きまくっても、
先ほどからなにやら鋭い視線で監視するかのように見ている、
美術館の人の視線の方が展示作品よりもリアルで、
また作品の一部としか思われない間隔で
警備員が登場し視線を遮ったりして気を削ぐ。
このホワイトキューブから逸脱するのが
相応しく感じる作品達は、
この中でこそときめくような感じもする。
これはそのメッセージを公の中で発する事に
意図があるからだろうかと思うも、違う感じがするのは、
私はそう思いたくないという事なのかもしれない。
玉手箱を開けたようなものから、オーガンジーで
出来たような原子爆弾の炸裂のジオラマ?が
立ち登っている、、、、。
これを見るより家(KADENA)にいた方が
なんぼかシリアスなように思う。
そう言えば那覇からやって来た美術家が
「OKINAWA CITY」で
ジェットの爆音を素晴らしい大音量!で作品にしていたが、
これもまた私を虐めているのかしらとしか思えんもので
聴覚障害者は近年のコンテンポラリーアートとの
相性が悪いのか、あるいはその事によって
私はアートも実世界も認識するよう迫られているのだろうかと、
聞こえないが騒音には著しく反応する鼓膜を
アルコールで労わりながら見たのであった。
何かが相当ズレているとしか思われないが、
それが私なのか、この見せられているものなのか今、
私には判断しかねる。
そのまま街に出ればやはり街はリアルで
あれは美術館の中だけの出来事だったのだろうと
安心?したりする。
外は相変わらずリアルな喧騒で
私の「メニエール病」をいたわってくれる。
カワウソ
Posted by ネコとウソ at 20:46│Comments(0)
│アート
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