2008年07月20日
山城知佳子 展
山 城 知 佳 子 展
ギャラリー ラファィエット
963-8320
7/19-8/3
バーチャル インヘリタンス(仮想継承)。
継承されるのであれば愛に満ちた仮想が望ましいのは
もちろんだが、ここでは視ていることを
観ているままに感じる感性を見たい。
と言うような事になろうかと思う。
アーサの海から女性が浮上してくる、、、
見れば、口の周りにアーサが髭状に付いている。
ギャグのようでもあるが、
女性の魅力的な表情や気配(オーラ)が、
いや、その髭がきわめて人為的な形状をしているので、
ここに意味が発生し、
それはオーラルな空想を掻き立てる。
掻き立てられた空想は
その姿態にまんべんなく散らされていくが、
覆われた身体に、
その仮想は髭へと連れ戻されるか、、、、。
私は何を見たのだろう?
アーサ?
彼女の肢体?
髭?
ファンタジー?
継承されてゆくものは、、、、。
会場で確認するというのはどうだろう。
参考 山城知佳子展「愛を伝えて平和構築」青山映二
(琉球新報、2008.7.29.火曜日)
獺
Posted by ネコとウソ at 23:32│Comments(2)
│アート
この記事へのコメント
オーラルな空想って?
Posted by いんであん at 2008年09月13日 21:57
言葉の意味に翻弄されている状況では、
全体の内容に係わる可能性は低く、
まして言葉のつらなりの内に、
その逸脱を試みようとするとき、
その内容にインスパイアされることも難しくなる。
その一語が琴線に触れる場合にあっても、
触れた分だけその意味の強さも大きく、
そこからの脱出はさらに険しい、、、。
言葉のつらなりの狭間から垣間見える
状況(内容)に関心が移った時、
共有されるコミュニケーションが生れる、
それに期待するものである。
それとも、
その性(SEX)そのものにこそ関心があるのだとすれば、
それこそが直球的内容そのものとなり、
そこからの展開が可能かもしれない。
が、しかしである。
その性急的回答を迂回して、
ここはひとつ私のアプローチに関心を移していただき、
再読してくだされば幸いである。
獺
Posted by こねねこ
at 2008年09月14日 14:11

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