2009年08月21日
ふれあい
係のお姉さんが「水から出さないで下さい」
と言っていたのに、
こねねこがほれほれと取り出して私に見せた。
ふれあい
ヒトデ在って人でなし
ヒトデに触ろうなんて思わないが
「ふれあい」と言われれば触れるというのが、
いかにも人らしいのであるが、
条件を変えれば、あるいはその状況を由とすれば、
人間何でもやるというのが
戦争なのかもしれないと思うと、
これからも起こりうるという悲観的思いが出てくる。
いけないと思っても諭されれば案外平気とならないためには
どうすれば良いのでしょうか。
いけない事を引き受けたうえで、
改めてその選択から良いを選択する力を
身につけるというのはどうだろう。
ヒトデは固くごわごわした感じでした。
生き物では無いような感触でもありました。
でもちゃんと生きていて、モノを食い排泄するのである、
生きているから。
「生きている」ということを考えるということが
出来るというのが人間なら、
つまりそれを自覚できるということだから、
生きているものに対して不遜な態度はとれまいと思う。
何故なら私(たち)は生きているのだから、、、。
ナマコも一緒に居り「食べてみましょう!」
ということかと勘違い違いして一歩引いていた私。
カワウソ
Posted by ネコとウソ at 22:15│Comments(0)
│カワウソの話
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