零戦
「零戦」堀越二郎(角川文庫) 「零式戦闘機」吉村昭(新潮文庫)
「零戦」堀越二郎と、
「零式戦闘機」吉村昭を立て続けに読んだ。
それで頭の中が零戦になっている。
堀越の「零戦」は、
人は創造するときに善悪で判断するのではなく、
創造したいエネルギーに突き動かされて創造する
ものなのだろうかという事。
戦後だいぶ経ってから書いた本だが、
堀越にとっての戦争って何だったんだろう、
「その中」にいると、「その中」でしか考えない、
という事なのだろうか、
戦国時代に輝く人がいるように、
戦争と合致して、その能力を開花させる人もいる。
そういう人々にとっては、戦争とはなんなのだろうか。
当時の庶民だって、零戦が大活躍したニュースに、
オリンピックの競技に勝ったように喜んだのだろうし、、、。
読み終えてボーっとした頭で、
すぐに吉村の「零式戦闘機」を読み始めた。
いろんなエピソードが出てくるが、
「零戦」と同じ内容なので、理解は早い。
途中まで同じ内容の本で、さらに細さが加わったモノ、
のようなイメージだったが、
吉村昭は小説家なので、着地点がかなり違う。
零戦という戦闘機を使い、戦争の全体を見せてくれる。
その時の人々を、その生活を見せてくれる。
それは泣けて仕方なかった。
泣く小説ではないけれど、
犠牲者に思いをめぐらすと、涙しか出てこない。
牛馬のように使われるという言葉があるけれど、
牛馬は重要なモチーフになっていて、
その姿が人々の姿に重なり、胸に刻まれます。
こねねこ
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