心筋梗塞 その14

ネコとウソ

2009年06月24日 21:09


   お薬セット!


        心筋梗塞 その14

        医師の考え・私の想い


 身体はすこぶる良好のように思う。

毎日のように歩いて、息切れするも、

歩いている事に意識が行き、

そのことは忘れているような気もする。

途中ハッとして水を飲まなくっちゃと思い起こすも、

それは悲観的な事としてではなく

思い出した楽しみのように、、、。

 病院を変えてみた。

これまでの病院に不満があったのではなく、

もっぱら経済的な事、例えば近いなどであったり、

結果時間をあらそう病気なら尚更であろうと、、、。

しかし私の場合便利を取ると

裏目に出るというジンクスがある。

今回もまた困ってしまった。

 新しい病院で、

とりあえず薬をもらおうと出かけてみたが

「4か月程経ってますので、

入院カテーテル検査で行きましょう」と

医師は張り切る。

えっ、

ですから、でも先の病院では半年点検と言ってましたので、

まだ日があるし、血液検査などしてもらって、

お薬頂いて帰ろうかなと考えていたのです

がいかがでしょう、、、、等というのは通用しなかった。

竹藪から出て来た幽霊のような医師は

「命拾いしましたねぇ~」と言い、

ですから私助かったんですよ~といっても

「命拾いしましたねぇ~」という感じで、

何だか助かったのが、

どうして助かったのでしょうねぇ~

というように聞こえて怖い。

 「こちらのお薬は、タナトリルも半分個ではなく、

ちゃんと一個でその量のお薬出しますからねぇ~

それでは今月末に検査入院ということで、、、」

などと親切サービスな医師の説明、

でも、いざ薬局で貰ったのは従来通りの半分個、、、

なにかしら。

 「カ、カテーテルはリスクもあるし、

CTとかそういうのでやりたいのですが、、、

リスクの事もあるし、、、」といえば

「それではダメ!リスクは無い!」と

最近の医師にしては珍しくキッパリ。

それならと、

せめて今日までの私の養生の効果が出ているか知りたくて

血液検査をお願いするも「ダメ」という、、、、。

 入院検査の書類を持たされ、なんだか、

あれよあれよという間に布団を買わされてしまった

主婦のように困惑する。

会計で「その、カテーテルの検査はいかほどと」

お尋ねすれば10万円程とあっさり言う、

うへっ。

リスクのないはずの検査は立ち合いの人や

サインをあれこれ求められる事になっていた。

だって、「カテーテル検査」って心筋梗塞本番と

変わらないんだものねぇ、、、、。


      後日検査入院をキャンセルする、、、。

 一応薬は貰ったので一息つきながら、

やはり前の病院で相談してみようということになり、

出掛ける、、、。

 「やあ、しばらくです、、、」

以前の医師に笑顔を取り繕う。

期待の医師、ヤングマンは

「どうしましたと、、、」お聞きになるので経緯を話すも

「うちでもカテーテルでやりたいのですが」とのこと、

そこで知人はCTやらで済ました

という話を聞いたのですがといえば、

でもやはりカテーテルと仰る。

いやでも某病院(第3の病院)には、

これそれの機械があってそれで出来るという風にも

聞いたのですがに、やはりカテーテルという、、、。

どーしても10万円だ。

もちろん命あってだが、

またまた10万円と言われてもねぇ、、、。

 ということでまだ半年たってないから

ということを理由に先延ばしさせてもらう、、、。

ここでは「血液検査」をしてもらい、薬も貰って帰る。

 「血液検査」の結果から見るに、

私のこれまでの養生は適切だったらしく

288(400あると酒を止めなさいと言われるらしい)もあった

中性脂肪(基準範囲33~149mg/dl)も

99と範囲内になり、コレステロール系も良好の結果が出た。

胸にコバンザメが張り付いているような感は

拭えないものの、良好である。

 患者はこのように養生し、結果も出しているのだが、

医師は医師で自らのデータ取りこそが大事らしく、

投与した薬剤が効いているか、異変は見られないか、

見れば健康そうな感じであるからOKかな、

いや、やはりカテーテルで観ないことにはアレだな、

といったところでしょうか。

患者の私にもある程度分かる血液検査のデータを

手掛かりに医師と意思の疎通を試みるも、

医師はマニュアルな回答を大事にするだけで、

患者自ら作った毎日の血圧グラフもさほど興味の対象には

なって無いようで、

いや、

医師であるからチラッと見ただけで

十分わかるのかもしれないが、

そこに患者との疎通はあまり感じられない、、、。

 常用して良い薬は無いと聞かされたものとしては、

毎日の薬をどうにか減らし、

自浄能力や自己治癒力に期待したいのである。

して、勝手にとはいえ、

全薬剤を1日置きに飲んだりもしたが、

さすがに素人の感覚に頼っているだけで、医師にも

「自らを人体実験しているようなものでして、

よろしくありませんねっ、云々」といわれる。

私はヤングマンの適切な表現に感嘆し、

ボギャブラリーやデリケートな言葉遣いを期待するより、

そのダイレクトな表現の方が理性的で分かりやすく、

なるほどと納得するが、

私達はどうも意思の疎通が取れないのだと実感もする。

医師の処方にしたところで人体実験に違いないはずなのだが、、、。

 ともかく減らせる薬は無いものかと再度尋ねれば、

「ランソプラゾール」は胃薬だから

問題がなければ飲まなくても良いという答え。

ではと、ここのところそれは飲まないでいる。

して、問題は起きてない。

人によっては他の薬のせいで胃がやられるので

服用するのであるが、私は大丈夫のようだ。

してみるとこの数ヶ月飲んでいたのはどうなるべ、

という疑問は解決されないが、

こうして薬から自己防衛するしかないようだ。

 医師は100人を対象に物事(患者)を考えているようで、

であるから万に一つのミスというような話をするが、

患者からして見れば、

例えば自分が100回カテーテル検査を受け、

100回目に事故が起こる、という訳では無い。

何故なら私は100人ではなく個人であるからだ。

個人である患者が100人を相手にしている医師と

気持ちがつながらないのはこれからすれば明らかではある。

いま私達はデータ化されても個人が

反映されるような世界には生きていないようだ。

私は医師がちゃんと見てくれないという話をしている訳ではない。

このように医師と私である患者が気持ちの上でズレている

ということなのだ。

「気持ち」は理性的には感知されないので、

いろいろ投与してみてどうにかなるのを

傍から見ていたいという感じである。

まさに西洋医学のお手本であるのだが、

私の体は西洋医学でも東洋医学でも無く、

この私の「気持ち」こそが私なのであるから、

この私の身体を語ってはくれまいかという気持ちなのである。

そう、私の身体を身体的に思ってくれるのは

この地球広しといえども妻くらいのもので、

恋人でも無い一患者に恋愛的身体性を求めても

「それは困ります。」というものであるのでしょう。

いや、そんな情緒的な事で「心筋梗塞」は治りませんよと

医師の答えは十分わかっていての話です。

 
           カワウソ




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