他人と深く関わらずに生きるには

ネコとウソ

2008年11月16日 20:56




 「他人と深く関わらずに生きるには」

        池 田 清 彦

          新潮文庫


 いやー 同志というものはいるようだ。

同じような事を考えている人がいるだろう事は、

たとえ荒野に立っていようともいるはずだ

と思ってはいたが、いらっしゃいました、

と思わず身もわきまえず叫んでしまいました。

私が叫んだところでご迷惑かも知れませんが、

ファンになりましたということで、、、、。

 1/3ほど読んでそうだそうだと相槌を打ち、

半分位で身につまされ、

残り1/4で絶望になる感じではあるがしかし、、、、。

 

 「ボランティアをする方は、

  ボランティアをする人はエライ

  という世間の風潮の中で、精神的に優位にあり、

  やってあげている、と思いがちだ。」P72



 このあたりを読んでふと

昨今のアーティストという呼称に思い至った。

アーティストの呼称は

近年いろんな職業で使われるようになり、

ヘアーサロンのひとを

アーティストと呼んだ時期があった。

最近はミュージシャンの事のようであるが、

元々の河原乞食という本来の、

いえ、間違えました、

純粋美術にかかわる者をアーティスト

というのだと思っていたら、

今や「コミュニケーションする人」

という意味らしい。

なるほど、アートも

純然たるツールになった訳であるようだ。

でっ、自称にしろ他称にしろ

「アーティスト」であるから身元保障済みで

「私の言うことに従って

みなさんも覚醒してくださーい」という感じで、

彼(彼女)の「コミュニケーションアート」

なるものを見せられる。

「アーティスト」の言う事であるから後はお任せでッ、

見るだけ見たら感動して

ノークレームノーリターンでお願いしますとなる!

ひぇーほんとかよぉーと思うのは

旧世代の河原乞食のアーティストであって

「おじさんにはわかんないのよぉー」といった感じだ。

であるから作品も単に

作家のメッセージの媒体であって、

それそのものにほとんど意味もなく、

プライバシーの侵害のようなものであっても、

アートの前でなすすべなく、

その作家に晒されるのである。

自分がコミュニケーションの仕方を知らないから

といって人様にコミュニケーションの仕方を

教えようとしているようにも思われるのはなぜか。

上記の「ボランティア」の部分を

「アーティスト」に置き換えてみるとどうだろう、、、、。



   今やコメディの「ラブ&ピース」でしょうか。


「子供というのは幼ければ幼い程、

 未来を生きる動物ではなく

 現在を生きる動物であるから、

 今楽しいことに夢中になるのは仕方がない」P88



 それを将来(未来)将来(未来)と

迫るから良い子が育ち、

その温室効果はヌクヌクと他者知らずとなり、

おじさんに説教する事となる、、、、。

ま、おじさんは「バカじゃない!」

といわれても馬鹿じゃ無いと思うから

別に問題はないが、

大人が「今楽しいこと」だけに夢中になる訳にもいかない。

作品は作家が作るものではあるが、

アートとなるにはその客観化の

プロセス(評価)が必要である。

評価されている、なるほど。

アイドルもまたアーティストなのかもしれないが、

それなら栄町市場の

肉屋の親父をわたしは推挙したい!



      なに

 本の紹介になっていない、すまん。


       獺



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