十六日祭
「後ろ指」ってどう指すのだろう、、、、。
「十六日祭」
沖縄タイムス、2/27「論壇」、「読書」欄
色々な行事を世間のために、あるいは
後ろ指刺されないために日夜努力する我々庶民であるが、
指し方は中々うまくなっても、
指されるとめっぽう弱いという現実がある、、、。
ということで「論壇」(松久宗清)では
「十六日祭はあの世の正月ではありません」と住職が説く。
では何か?
「生者も死者も悪行をなさず善行をなし、
立派な人格を養っていき、
迷いなく安らかさをなすという供養
(供給養心を略して供養という)の日なのである」と話す。
お話の中でおもしろいのは「やぶ入り」である。
奉公人のつらさ・苦しみを地獄の苦しみに例えたものからきた、
というところは庶民の悲哀そのものではないでしょうか。
して、
そのまま「葬式はいらない」島田裕巳著(幻冬舎新書)に移れば
「『仏典に根拠がなく、日本にしかない』という『戒名』」は、
はて、これはどうなっているのでしょうかと、
住職さんに聞いてみたくなるし、
さらに「美女と機械」原 克 著(河出書房新社)に目をやれば、
「勤勉に働く事が美徳に数えられるようになったのは、
大衆社会化が始まってからのことだった。」とくれば、
何やらうっすらと私の中に浮かんできたのは、
健康であり、立派な人格で、勤勉なれば、
これ以上ない国民の出来上がりのように思えるのだが、
はたしてそれは私にとって素敵な事なのでしょうか、
ということである。
なにしろ勤勉で無かったせいか健康ではないし、
善行は最近始めた朝の散歩くらいだし、
中指はバネ指で後ろが指せないのである、、、。
「美女と機械」読みたいな、、、。
カワウソ
関連記事