ウチナーの子供

ネコとウソ

2009年08月18日 20:31


   


   「なんでかって教えるか!」

    愛しのウチナーの子供達


 21世紀の子供達です。

テレビゲームもパソコンもいじれる

きょう日の子どものはずです。

「フン族」が健在なことに驚いたが、

今回はもっと素敵なセンテンスだった。

「なんでかって教えるか」である。

いや~久しぶりに聞いたなぁ~、健在だったのねぇ~

「ソレってさぁ~」と言うのが、

アーバンなセンテンスになっているはずだが、

散歩ですれ違った3~4人の子供たちの一人が言った。

  「なんでかって教えるか!」

 こういうとき大概他の子は聞いてないのだが、

リーダーらしき子がどうしても覇権を取りたくて、

メッセージするのである。

さらに、彼とてその場の思いつきで

話しているので、意味不明の解説になるのが落ちなのであるが、

なにせリーダーを示したい、

なので、ここはひとつ言って置きたいのだ。

  「なんでかって教えるか」

すでに、このか細いボギャブラリーを暗示している響きに、

沖縄の苦渋を感じずにいられようか。

この教え諭すというような啓蒙的ニュアンスの言葉はしかし、

大人でも案外変わってなくて、結局のところ、

標準語的私生活に無い私達は勢い

訳語的センテンスなセンスとなることの表れではないのだろうか。

それにしてもしかしオトームニー的なのもその訳語が、

それ以上発展しないまま受け継がれていった

あかしなのでしょうか。

  「なんでかって教えるか」

ここにウチナーンチュの悲哀なくして、

この言葉は継承できないでしょう。

「アンシイネェー、ヌーンディイレー、シムガッ!」

と返されたときやはり

「なんでかって教えるか」

としか言えないのではないかと思うのだ。

これをして文化的貧困というか。

「お早う」というのさえ難儀な環境下にあって、

暑いし「ダカラヨッ」で済ませたいのに、

「でも、比嘉君の言っていることって

よく分からないんだけれど、

気持ちはわかるような気がする」

とサポートを受け、それに気を良くして

「ヤラヤァ、分かる訳よぉ~」と言い切っても、

多分コミュニケーションは取れてないでしょう、、、。

 サポートしてくれた、その移住の子も

半年ほどで染まるのだろうが、

それでも日常的会話の幅まで失うことはない。

この違いであって学力ではないでしょう。

この違いが学力の差となることはあっても、、、。

であれば、5時半に家に帰ってもあまり

意味ないかも、と思うのですが、、、。



        家へ帰れば

     「勉強したねぇ~勉強」

      と言われるし、、、。

      子供はわかる訳よぉ~

       お母さんの言う     

     「勉強ってなんだろうか?」

          と。

    「あねッ、早く勉強しなさい!」

  だから何を勉強すればいいのか教えてよぉ~

    「だから勉強サッ、勉強!     

     こんだけもわからんねぇ~

     ジュンニィ、ターンカイガ、ニチャラ!」

 
         キャッ!


         カワウソ



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