アリ!ウリ!ヤァ!ダァー
アリ! ウリ! ヤァ ダァー
人生の先輩によると
ウチナーアンマーやタンチャーなてぃやぁ、
と嘆息する。
親に教わった子供の育て方はこの四つで済むという。
たったこれだけのボキャブラリーで
世界を構築していかねばならない子供も
大したものではあるが、
しかし実際には、
親に自己表現しようにもこれだけしかないし、
親もこれだけしか返さないとしたら
それだけのコミュニケーションしか
得られないのではないかしら。
豊かな心を育もうといいながら言葉を惜しむ、
いやその言葉が無いのだとするとどうなるだろうか。
小学生と話していたら「オジサン話が長い」といわれた。
でもその話というのがたったの
4センテンスぐらいだとしたらどうでしょう。
こんな話も聞く。
高校の授業で先生が黒板に書いたものを
書き取りさせるというのだが、
黒板を見て自分のノートに目を移すまでに
それを忘れて書き取りができないという、
しばし唖然であるが、
さもありなんと子供たちの会話を聞いていると思う。
中学生くらいか、
ビデオショップで何を借りようかと思案中、
一人が「レオン面白かった」という。
でっ、相方が「どんな風に?」と問えば、
この2時間近い映画を
「おじさんがダメって、って言う」ときた。
はあ~?と思ったが幸いその映画を観ていたので
タイムラグはあったものの私は頓悟したが、、、。
確かに殺し屋のおじさんに付きまとう少女に
「ダメ」を殺し屋のおじさんは連発する。
しかし私は観たことがあるから何とか彼女(中学生の)の
意図を理解できたが、
その友人は「あんたが言っていることは分からん」と
いい二人して笑いながら去って行った、、、。
まあいい、優しい心持さえあれば、、、
とも思うがしかしである。
その優しい心持も言語化して初めて
我々はそれを享受するのではないのかとおもえば、
ほっておく訳にもいくまい。
ウチナーンチュが
「ヌーンガ、ワカトウシェー」というときは、
考えないでおきましょう、
と言っているように思うのは私だけでしょうか。
あうんの呼吸、
妻とさえ通じ難いのに世界は了解するのかしら。
教えてないのは分からないし、
思いもつかないことは思いつかない、、、。
本を読みましょうといっても、
そんな環境が無ければ思いつくはずもなく、
本を読むという事は
図書カードにハンコを押すことだとしか
理解していなかったらどうでしょう。
店に入るなり「勉強のしか買わんよぉー」と叫ぶ母親に、
いったい勉強で無いものというのが
この世にあるだろうかと問いたい。
見ればこの子たちは放置され、
母親は自分の好きなコーナーへと向かう。
獺
でっ、パパはどうしているかと、、、
なんくるないさとビールを飲む!
ワッサミッ!
ところで、ナンクルナイサとは
努力の後に、成功は自然に付いてくると
言う事らしいぞ、とーちゃん!!
チャースガッ!
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