夏は行き倒れ状態の猫達
毎朝新聞を読みながら朝食をとるが、頃合いを図って猫達が読んでいる
新聞の、ちょうど読んでる部分に尻を着いたり横たわったりする。
ミケの場合は横たわり、縞田君のときは、
私の鼻先に顔を突き付けんばかりにして何やら懇願する。
どうか可哀想なぼくを助けて下さい、
というような感じであるがホントのところはいまだに分からない。
何しろ読んでいるところをふさがれたので読むに読めず、
猫の相手をするしかなくなるのだが、
無理に端に寄せても起き上がりこぼしのように元の位置に戻る。
どうしても今読みたいときは叱ったり、猫のように威嚇してみるが、
つまりシャーシャーと声を絞るが実のところあまり効果が無い。
縞田に至ってはますます可哀想なぼくになってしまってたちが悪い。
それでもなお読みたい場合は猫を紙面から払うように左右に寄せるが、
読んでるとこに、分かっているかのようにシッポをのせるのである。
これが不思議だ。どーしてシッポで4行目を押さえる事が出来るのだ。
1行目だとすぐに叱られてしまうのが分かっているみたいじゃないか。
私もさすがに3行目まで読んで断念する。
これを毎日やっている。
妻は猫が来ると新聞を読むのを即座に止め、猫と付き合う。
私は猫に何やら条件を付けて、
例えば撫でても良いが君はお利口さんか等と問うて、
猫を困らせてからでないと始まらないという風になっている。
猫にお利口さんか等と問う事態がいけすかないものであるが、
何でこんな時にまでメンツを出すのかと妻が問う。
痛いところを突かれて、
お手をしたら撫でてやろうとますますいけないことになる。
しかし何故に妻では無く私に言い寄るのだと言えば
「あなたがそういう風に育てたのよ」と妻がいう。
猫もそうだと腹を出す。
いや自ら出すほどではないが横たわり、
眼は見開くが視線を外し全身で丹田せよと発信している。
ここまでやられて撫で無いのは人非人といわれる。
しかしだ、ミケを撫でてさあ新聞と思えば縞田が来て、
それも終わればクリが来る、、、、そうです、
最初からミケを少し撫でていればここまで発展しないものを、
あーだこーだと余計な事を言うのでここまで押し寄せられる。
新聞を読むという事は猫を撫でるより大事と思っているからだろうか。
猫を撫でれば猫は気持ち良さそうにするし私だって悪い気はしない。
聖人になった気さえする。
新聞を読みながら、このクソッタレまだ書いていやがる、
などと下品な事になるだけで
一向に教養に結びついているとも思われんのに読む。
ああ、話を間違えた、こんな話をするつもりでは無く、
猫を毎朝撫でていると至福の時間が流れ、気持ちに余裕ができ、
下手な仕事など、どうでもよくなり気分は最高になる。
という話をするつもりだったのである。どうしてこうなったんだろう、、、、。
猫に訊いてみよう。
獺