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2009年06月03日

「いのちの食べかた」

「いのちの食べかた」



       「いのちの食べかた」

       農業は工業だ、、、。

      TSUTAYA  DVD


 ドキュメンタリー映画のようだ、、、。

付きもののナレーションが無い。音声も特にない。

あるにはあるが、せいぜい作業中に出る、

つまり道具やトラクター等の機械音、

作業員のチョツトした会話ぐらいだ、、、。

 映像は淡々としており、ぼんやり見ていると何やらわからない。

のんびりとした空間に、あるいは広大な空間に

わずかな人達が作業をしていたり、車が移動したり、

コンベアが動いてみたりといった、

アクションに乏しいものである。

時にハッとする事もあるがまた落ち着いてしまう。

私達は映画を見るときに

大きなアクションや喧騒に慣れっこになっているからか

見過ごしてしまいそうになるほど画面はあまり変化しない。

見慣れたころこれらが何であるか

突如的に理解し驚くと同時に暗欝となる。

これらの映像は皆農作業の風景なのであるが、

私達の農作業に対するイメージが相当古臭いせいか、

あるいはそのようにあるだろうという

豊かな自然を思い浮かべるからだろう。

しかし思えば私達がスーパーで見る生鮮食品は

すでにパックされており、

肉はもちろんのこと魚や野菜や卵なども

そのままパックで自然にある訳ではないのを

当然知っているはずなのに映像を見ながらショックを受ける。

私達は今更ながら生き物を食べていたのだという事と同時に

このありさまは何だと驚くのである。

 すでに農業も機械化して久しいのだが、

あまりの事にやはり驚くのである。

そうだよね、これだけ大量の食品が安く

スーパーに並んでいるのだから

こういう事になっているのを

知らなかったじゃすまないよね

ということになる。

しかしそれにしてもである。

 そして作業員も自動車組み立て工場さながらであり、

あるいは原子力発電所の作業員のいでたちでもある。

とても農業に従事しているようには見えない光景である。

 寡黙な、そして、ひがな豚の足を切り落とす作業だけを

強いられる仕事というのはどうだろう。

返り血を浴びながら機械的に豚を半分に割く作業を

淡々と一日続けるというのもどうでしょう。

 作業員のランチタイムとおぼしき映像も映し出されるが、

寒々として、気力のようなものや、仕事の充実感というものとは

まるで縁のない光景である。

何千というようなヒヨコや魚は生き物というより

モノとして処理されていく。

 コンベアから次々と出てくる鳥の姿は

そのまま人のようでもある。

生きるためといい、

私達の生き物に対峙する姿はこのようなものであったのかと

慄然とするも、

実のところ人間に対してもこのような振る舞いを

している現在があるのではないだろうか。

 大量に生産される、生き物の商品は

「価格調整」のためにそのまま破棄される事も

今では珍しくないという。

そして私達人間も「価格調整」のため捨てられてゆく、、、。



           カワウソ







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Posted by ネコとウソ at 21:31│Comments(2)映 画
この記事へのコメント
私もこの一部を見ました
昔は命をいただくにもルールがあった気がします
Posted by 桃momo at 2009年06月04日 23:24
桃momoさんへ

命も消耗品?

ッて感じでしょうか。

なんだか身につまされる映像でした。

      カワウソ
Posted by ネコとウソネコとウソ at 2009年06月05日 22:44
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