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2009年02月24日

「アメリカ」カフカ

「アメリカ」カフカ


       「ア メ リ カ」

       フランツ・カフカ

         角川文庫

 
 まだ時代にマナーが生きていたころ、

主人公カールの振る舞いは成功者伯父にあっても、

いや成功者だからこその嗅覚で

カールは自分の意のままにならないと予感、

あるいは既に決めていて、

追い出されるのは時間の問題だっただろう。

同じようにドラマルシュやロビンソンに在っても

かれらにとって世界は決まったものであり

「自分は世界を知っている!」

というすでに固定化した観念でのみ生きてきた者にとっても

カールは目障りである。

何故か。

カールは考えようとする力を持っているからである。

これは天才とか頭が良いとかというものではなく、

考えること自体が伯父を含む彼らにとっては危険な存在なのだ。

もちろんカールにそんな意図はない、

実に自然に、そして「過剰適応」しているだけなのだが、

男性達にとってはしかし敵意として映る。

その典型は「門衛」であり「ボーイ長」である。

そしてカールの味方である「コック長」はもちろん女性となる。

 ほんの少しでもカールの話をキチンと聞いてあげれば

何の問題も無いのだが、男達にとってはそうはいかず、

少しの隙でも見せようものなら(子供にかい?)

利益やそのポジションを奪われかねない(誰に!)と

実は恐怖しており、とてもそんな寛容さは無い。

だから彼らはその階級から上がれないのだが、

もちろんこれも自分のせいでは無く世間が悪いか、

「ドジを踏んじまったから」となる。

 「アメリカ」ではカールがティーンであることで

その純な感性が、なお男達のメンツを際立たせるが、

「城」や「審判」にあっても同じで、

Kやカールの「過剰適応」がその話の全体である。

 「過剰対応」では無い、対応では身をすり減らすだけで、

思考は生まれない。適応しようとするその感性が、

自らの胸騒ぎとなり「考えが浮かぶ」

その考えにとらわれる事こそが世間にとっては

逸脱行為であり、無駄で唾棄すべきことであると同時に、

何故か呪ってさえいるみたいだ!

 Kやカールは考える、自分の事として考える。

ただそれだけの事だが、

それはそれだけで「律法」に反しさえするのだ。

女達はたとえ「コック長」というポジションにあても

世間という社会には塞泥されない。

なぜなら、社会は女性をお呼びでないからだ。

 カールやKは、実はニュートラルであるから

女性からは自然な振る舞いとして受け入れる事が出来る。

受け入れないのは常にその「男性社会」なのだ。

 男達の

「君を幸せにしてあげる!(この壮大なプロジェクト!)」

という言葉を今一度考えてみましょう。

 して、女性のこたえは「ほっといてちょうだい!」である。



     タバコはメニエール病で止め、

  心筋梗塞で「酒さえ飲めば良い人」も逃した、



           カワウソ


 



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