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2008年12月14日

石垣克子展

石垣克子展
 ピンボケではなく、そういう画像です。輪っか分かります?


      石 垣 克 子 展

     つながるライン2008

        横浜・沖縄

   12月13日ー21日 2008年
       (月曜休み)
    ギャラリー ラファイエット

 コミュニケーションを求めて彷徨える石垣克子である。

トレンドである「人とのつながり」を

紙紐の輪っかで広げようという趣旨のもと、

参加者自身がその輪っかをこさえつないで行く。

 「輪っか」は、

紙紐にシュレッダーされた風景などの写真を

巻いて作るという手の込んだもので

器用な人とそうでない人や、

何だかうれしくなっちゃうという人までいて

「楽しい」という。


石垣克子展
  これがその「輪っか」です。石垣氏と私と妻とのコラボです、、、。



 私も参加せててもらったが、

確かに何やら嬉しい原初的楽しさで

盛り上がって行くような気もするが、

物好き的にはものたりなく、

このようなシンプルな事でさえ

アートという囲い込みが無ければ出来ないものなのか

あんじられる、、、。

 30年ほど前、似たような形で、

他者のささやかな作業の参加で作品のようなものを

形成するという事をやったが

「私の主体はどうなる!」という反発を受け

頓挫したことがある。

参加者に美術関係者を使ったのが

いけなかったかもしれない、、、。

 でも、今時はアーティストのする事だから、

ちゃんと訳があってやっていることだろうから、

やってみようという、アーティストに免罪符でも

あるらしく、問題はないようだ、、、。

 その「輪っか」に参加する人は

基本的に不特定多数の人達であり、

彼らは「自ら考える」より

「このように与えられる事の方が」うれしい

だけかもしれないし、

それでアートに参加できたという事なのであれば

より楽しいことでしょうと思う。

「文化の底上げ」、、、、?。

 なんだかアートが分かっちゃったような

気がするのが私には怖いし。

個人的な事をやって、その澱の様なものを見せるという、

いやそれほど情緒的でないにしても、

恥ずかしい事の共有というようなことが

表現と思っている向きとしては、

これまたセンチメンタルで嘘を言っている感じだが、

その嘘と呉越同舟するとか、

あーますますイケナイ感じだが、

でもそのような感じがするくらい赤面っぽく

話さなければいけないような、

違うか、

おじさんがそう言っているのであって、

皆さんにあってはもっとプレーンなことなのでしょう。

オジサンの周りを飛び交い始めたフェアーリーに

ほだされ始めただけでしょうか、、、。



「私がやると作業だが、

     アーティストがやると創造になる、、、」



 という風な記事をブログで読んだが、けだし卓見と思う。

で、その作家の公開作業のようなものに

ボランティアで参加していると、

作家の機嫌が悪くなる時があるというからさらに面白い、

その人はとても良い体験をしたと思う、、、。

ホレ見たことかの「オフィーリア」で、

コミュニケーションを謳いながら

イザ他人が参加すると共同ではまとまらない個人(作家)

というのが出てきて煩わしくなる。

「私の思うコミュニケーションでやってよッ!」

と叫びたくなるわけだが、そのとおり。

ですから超個人的な事をやって客観性がでてきてからで

コミュニケーション(提示)しても

間に合うというものだと思うがどうだろう。

それとも「頑張ってる私」で

何が悪いという事もあるでしょうか。

見えたので、あるいは見せられたので

チョッカイだしただけで、いえ、何失礼しました。

ですからコミュニケーションは難しい、

コントロールしようと思うと怪我をすると思うのだが、

今時はみなさん啓示が欲しいだけなのかもしれません。

 ところで石垣克子展に戻る。

その「輪っか」がたくさん繋がって

大きなチェーン状になった物が壁面に吊るされているのだが、

今にして思うと、これは千羽鶴なのではないかと思う。

成程分かりやすいし、やった方も感慨が湧きやすいかもと思う。

その作業に参加した人たちの映像も流されていた。

 石垣克子は基本的には画家だと思う。

今回も少ないながらキャンバスの仕事も展示してある。

その中でサップグリーンの色面に白い「輪っか」が

描かれたものがあり、

その「輪っか」はふき取られた事によって出て来たもので、

虚の感じが良い、、、、。

しかしアレだな、コミュニケーションを謳いながら

その実は「虚」であるとなるとやはり

石垣克子にあってもコミュニケーションは

そう単純でもないらしい事が窺われる。

それでもかかわることから逃れられないのが

ひとであるから石垣も真摯に向かい合っている

という事なのではないだろうか。

 

  「他人と深く関わらずに生きるには」池田清彦(新潮文庫)

         を思い出したりもした。

    池田氏は人とかかわるなと言っている訳ではなく、

     「人とかかわる」という事をいっている訳で、

        もちろん人生訓でも無く、

         「自分で考える」

      という事を問うているのだと思う。

 
 都合オジサンとしては

コミュニケーションは他者を受け入れる事だと思う。

私など他者を受け入れカンティしているから、

自分の中へどんどん沈潜して行って

他者と出会えるのを探っているつもりである。

それに、

やおら人にけしかけるほど

モウロクも、寂しくもない事だし、、、、

ああそうそう、

妻を道連れにはしているかもしれないが、、、、。



        獺
             
 
  大川さん楽しかったねっ!






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Posted by ネコとウソ at 21:43│Comments(0)アート
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