2008年10月22日
お家を建てよう! その9
隠れても、無かったことにはなりません、、、、ジョセフィーヌより。
お家を建てよう! その9
管 理 者
辺り一帯都市計画地域という名の大草原だったのが、
やはり都市計画通りに町になった。
マンションや大型スーパー、ホームセンターなどが立ち並び、
無いのは原っぱだけとなった、、、。
おかげで現代的生活は便利になったが、
人が増えた分だけコミュニティが出来たかと言えば全然で、
それどころか大袈裟にいえば無法地帯と
なりつつあるのかもしれない。
いや、それだとなんだかハードボイルド風で人生に波風が立ち、
男のロマンスなどと言ってうそぶく事も出来るかもしれないが、
どうも違う。
それは境界やマナーやテリトリー等の身体的領域が侵され
安全が脅かされているという感じだ。
安全が脅かされるとはまた何か、、、、。
実は安全もマナーだったのだと最近気づかされるが、
というのは安全は力関係のみで成り立っているかと
思っていたが、
そうではなくマナーに準じたその認識無くて
力関係というのも成立しないという事だ。
つまり「力関係」の「認識」という理解が無くては
成立しないのだと。
喧嘩を知らない奴と喧嘩をするとトンデモナイことになる
という話があるがそれかもしれない。
であるから通りで人とぶつかりそうになっても避けない
「弱者」が増えた、という言い方はどうだろう。
車を運転していて信号が赤でも、
前の人に付いて行けばセーフという認識はどうでしょう。
これを認識と言えるかどうかは疑わしいが、
というのも認識は状況を理解し、
的確な状況判断から社会的ポジションを算出または適合した
ところからの行動であって、ラッキーなどでは無いからだ。
ラッキーが外れた時の被害甚大についてはどのように
認識するのだろうか、
ですから認識はないという事だ。
まして内輪差など無いに等しい、、、か。
追突された、
すると加害者が「見たら車が前に在った」という。
成程、哲学的だと思うのは認識に対する理解があるからで、
事実はブツケタンデスヨという事では無いのか。
いやブツカッテキタンデスヨでもよい。
何故なら同じフィールドで理屈が合うからだ。
でも「見たら在った」では解らない、、、、。
警察官はこれに3度も問答された。
このような事情である時、
公共性(マナー)というのは機能しない。
コンビニを出た途端中身を取り出し袋は
躊躇なく捨てられ食べ歩く、、、。
風に吹かれたビニール袋は我が家に積まれてゆく、、、。
コンビニ前にボランティアで集まった屈強な青年を待機させ、
そのような行動をする人を見たら、男女問わず、
近寄りヤオラ一発殴りつけるというのはどうだろう。
ああ、気分爽快になる話では無く、状況についての話でしたねッ、
つい正義漢が出たもんで、、、、。
でもどうだろう、
海岸や公共の場の缶を拾って綺麗にするという事が
新聞で称えられていたりするが、
誰も捨てた奴をそれほど咎めたりしていないよう
に見えるのだが、、、。
良い心持になって行動すれば彼らも気づくであろうという事だ、
なるほど、私もそう思う、
同じように国防についてもそれでありたいものだ
「攻めてくる」「攻められる」という事の無いよう
普段からそのような事が起こらないように努めるというものだ。
缶拾いで出来て国防で出来ない事は無いでしょう。
だって缶を捨てた奴を
ブッ殺す訳にもいかんということだから、、、、。
アレか、缶を捨てる奴はそれを知ってて捨てるか、うむ。
でも、そういう姑息さというものはうまく行かないし、
いずれも何も自分に返ってくるという話も
てんで伝わらないというのが今日の話であって、
ですから啓蒙的見解は笑にもならないという事だ。
さて、
問題はそんな中で管理人の常駐していない、
大家さんが一緒に住んでいないマンションや
アパートというものがどのような状態であるか
という極めて身近な話である。
公共性の薄れた者にとってこのような場所は
原っぱと同じであり、適当に寝ころび、思うように蹴りを入れ、
フッ飛ぶ外灯に無表情な顔をし、
それが5.600円もするという事はトンと思い浮かばない。
もっぱら蹴りを決めた自分の足の長さに見入っているのだ。
見入る、
はたしてそのような情緒もあるのだろうか。
ある、
実はあるのだがそれを聞いてくれる
適切な大人が不在なだけだ、、、。
オレってこんなにもカッコいいのにドーして
誰も見てくれないんだ。
まったくその通り!ドーして見てくれないのだろう。
考えてみよう。
これについてはオジサンが「不在」で無い時に話しましょう。
でだッ、
そのようなアパートやマンションでは
通路や人様の物に見えない人たちには食堂に見えるらしく、
それも賑々しく自らコンビニで買って来たお湯もセットの
ラーメンを食べる場所となる、素敵。
だってノンセキュリティの大公開の場所なんだから!
これを利用しない手はないというものだ。
今時何かとコストがかかるという時にである。
にーちゃん正解!やっほーラッキーである。
いや何も奨励喚起している訳では無い。
面白くないのはその建物の隣に住んでいるオジサンであって、
風が吹けば数あるメールボックスの蓋が
ガチャガチャと音楽をガナリ、
散乱したゴミを見せられ心を痛め、
シンケーシツになっているところへ
「隣のおじさん難しい人らしいよぉ~」
と言ってはばからない方たちにも大いに受け、
デパスでも飲んで落ち着くといった
他にはやりようがないという事なのだ。
ああ、そうであったメンドクサイ事はお断りなので
管理人も不在、ましてそのようなところに住むなんて
考えても恐ろしいという事なのに
何を言っているんですかと仰りたい。
でっ、それは「二酸化炭素」のように
私にも還元されるのでしょうか。
いや、余計な御世話とお言うのならそうかも知れませんが、
ただ、
時折ティーンエージャーや子供たちが宴会や近道や探検だといって
そのデッドスペースの利用と柵の通過時に
足を滑らせ首を吊ってしまわないかと
案じているだけのことでして、
いえ、実は警察も認識していまして、
でも個人のものですからと二の足を
踏んでいるだけかもしれません。
さて、事故が起こってから世界一大事な子供でしたというか、
それともその建物のオーナーがしっかり保険に
入っていればよろしいのですが、、、、
場所?そんな事オーナーは知ってるでしょ、
コスト削った所でしょ、
そんなこと聞かないでよッ、、、、。
さっ、缶拾いに出かけましょうか、
でもアルミは残しとかないとねッ!
お婆ちゃんのために、、、、。
獺
Posted by ネコとウソ at 23:02│Comments(0)
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