2008年07月21日
ノーカントリー
ノーカントリーで行こう!
前評判の高い映画で、タイトルも気に入っていたので
相当期待して観ましたが、
期待に違わずシビレまくりの明るい映画でした。
まあ世間的には「純粋な悪に飲み込まれる」
という事になるのでしょうが、これはアナーキストでしょう、
でもアナーキストと言うには変態的雰囲気を
醸し出しているシガーをみると、
これこそが日本人がなりたくてなれない
近代の主体なのではないかとクリーンに納得しました。
雑貨屋での世間話にムカつくシガーこそが
主体なのだとするとアメリカでも主体的に生きるという事は
難しく犯罪者としてしか成就しないのか、
あるいはそれこそが主体を生き抜く事と言うことなのかと
打ち震える感動を覚えました。
ノーカントリー。久しく聞かない言葉だ、、、、お国無し。
いいよねぇ、
この地方もお国無しで行きたいものだがどうだろう、
もう200年程お国に翻弄されてきているのだから、
そろそろノーカントリーというのはどうだろう。
でも、お城復元してから
我らもお国自慢をし始めているみたいだし、、、、。
エコ感覚で酸素ボンベと言うのもイケているような気がする、
一家に一本ズバン、、、、。
おかしいか、おかしいねっ、
だから主体が溢れださないようにと正義は気遣っているのかも、
きっとそうでしょう、
だって危ないもん、とても、
でもしかし人は主体的に生きたいものなのでしょう、
ああ、貴方は違う、なるほど、ではどのように生きたいと、
と言うような事をこの映画は
あなたに問うていると思います、きっと、、、、。
でっ、私的関連で
「ドッグ ヴィル」をセットで観るとなおよろし。
ジョーンズのオジサンは勤勉実直、
かといってクソ真面目と言う訳でもなくやって来たが、
人生に悲哀を感じる。
片や「お金横取りのオジサン」は
「タチヌシチャンジルモウキイル」と思ったにもかかわらず、
お水をやりに戻る普通の人、、、、。
主体的に生きるシガーさんはたとえ撃たれようとも自分で治す。
横取りオジサンは、もう悪い事しているにも関わらず、
撃たれたにもかかわらず病院へ行く、、、。
この差、この違い、主体的に生きるのは大変だぁ!
だから普通はジョーンズさんのように生き、
愛する妻の前で「なんだか面白くなかった」と思い、
横取りのオジサンは「大きな物語」に非合法ではあったが
参加できたので生きがいがあったと思い込み、
思い込みの内に死んで人生成就。
奥さん困った上にシガーさんに主体を問われ殺される。
シガーさん信号無視(非合法)のバカタレに
合って大怪我するも子供(合法)から、
横取りオジサンの場合は大人(非合法)から、
お金でシャツをもらい、
シガーさんは、なんと着るのではなく、
有効な医療ツール(合法)として使い、
横取りオジサンは身を隠す(非合法)のに使う。
シガーさんは非合法の信号無視を罵るでもなく、
後ろ姿もエレジーにその場を去る、、、、。
このくらいやらないと自立できないと
シガーのオジサンは親切丁寧に我々に問いかける。
ステキであるもついてけない私達がいる。
安堵かしら、、、、。
そうでないと皆が主体を持てると思い
国が崩壊するのでこのくらいにする、、、が
映画はこのくらい頑張らないと普通の人の脳に
刺激を与えられないと思っているので
非合法なるもインパクトをとる。
インパクトありすぎたか、
ああ、シガーさんでなくて良かったとやはり安堵、、、、
アンドゥ、トロー、、、ってなに、、、。
「ドッグ ヴィル」で
トラックの運転手が彼女に
「仕方がないんだよっ、これは、、、」
といいつつ漕ぐのはなんだろう。
仕方がない、
という事は「仕方がある」と言う事ではないのか。
我々はいつから「仕方がない」と
思うようになったのかしら、、、、。
私達はお金もらっといてお水やりの戻るのかしら、、、
ノーカントリーで生死は歴然としている。
人間同様犬は殺される運命にある
「あいつはイヌ(国)だから」だ。
人間に寄り添い、
それに従うからには銃弾を浴びる事となる。
麻薬取引シーンでは45口径と9ミリが飛び交い、
これは自衛では無く戦争(マナー)であるのが分かるし、
すでに犬も殺され、かろうじて難を逃れた犬も、
その負傷した足を引きずりながら逃げ去る。
ここに既に国(マナー)は終わっているという事でもある、
そう「犬死に」だ。
そこへいくと猫は殺されることがない、
なぜなら主体(私)だからだ。
主体は死なないし殺されない、
死なないか。
それでは今世界で起こっているのは
何なのだとおっしゃるでしょうか。
ですからそれは国で起こっている事
なのではないのではないのでしょうかと
「ノーカントリー」は見せているのではないでしょうか。
「ノーカントリー」では
いわゆる合法は非合法となり、
非合法は合法としてシガーによって
演じられていると思うのです。
はたしてシガーさんは「仕方がない」
という言い訳を通さないクリーンな認識の下で
行動していると考えれば
これほど合点が行くこともないと思われるのでした。
もちろんシガーさんの前で私も悪びれると思いますよ、、、、。
「私を殺す必要はないでしょ」と、、、。
獺
Posted by ネコとウソ at 17:14│Comments(0)
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